capriccioso

気まぐれに 気ままに

音のない音楽

 

映画『LISTEN』を観ました。公開前から気になっていたのですがなかなか予定が合わず、今日やっと観に行くことができました。
 


映画『LISTEN リッスン』予告編

 

『LISTEN』は音声も音楽も全くない音楽の映画です。全く音がないにもかかわらず、これは紛れもなく音楽の映画でした。

この映画は、上映前に観る人全員に耳栓が配られます。きちんと耳栓をつけたのは初めてだったのですが、想像以上に音が遮断されるので驚きました。係員の人の声はほとんど聞こえず、予告の音もだいぶ小さく聞こえました。そして映画が始まると、自分が唾を飲み込むごくんという音がとても大きく聞こえるほどの、無音の世界。生まれて初めての感覚でした。
 
映画には劇団に所属する俳優やダンサーから一般の方まで、多くの聴こえない人たちが出演しています。彼らが、踊りで、手話で、表情で、時に色を使って、音楽を表現していました。「表現する」というより、音楽を奏でていた、歌っていたと言ったほうが良いのかもしれません。
作中で1人の女性が「言葉って難しい」と言うのですが、今まさにそれを感じています。音で聴く音楽を言葉で説明することすら難しいのに、この映画の音楽を私の文章力で説明できるはずがないのです。だからこそ、ぜひ1人でも多くの人に実際に観て欲しいと思うのですが、この文章でどこまで魅力を伝えられているでしょうか...
 
現代に生きる聴こえる私たちは、音の溢れる世界で生活しています。常に音楽に触れている私たちの脳には、多くのメロディーや楽器の音が記憶されているのだと思います。私は楽器も演奏するのでそのせいかはわかりませんが、視覚でリズムを感じるとどうしても自分の頭の中にある音楽が浮かんで、それが勝手に結びついてしまうのです。ゆるやかな動きを見ると弦楽器の音色が聴こえる気がする。力強い動きを見ると金管楽器が響いている気がする。しかし、この映画が伝えたいのはそういうことではないのだろうと思います。 聴こえる私たちの音楽を、音の代わりに動きや表情を使って表現しているわけでは決してありません。
 
音楽は、人の気持ちが溢れ出すものだ、魂で感じるものだ、彼らはそう言っていました。本来の音楽とはそういうものなのでしょう。指先から爪先までいっぱいに使って音楽を楽しむ彼らがそれを伝えてくれました。
 
映画とは関係がないですが、そもそも私が手話に興味を持ったのは、聴こえない人たちがダンスをする姿に惹かれたからだったとこの映画を観て思い出しました。小学生のときに舞台『Call Me Hero!』を観て、この舞台の主演である耳の不自由なダンサー大橋弘枝さんの自伝『もう声なんかいらないと思った』を読みました。今日感じた感動は、あの舞台を観て、本を読んで、感じた気持ちと似ている気がします。
 
私はこの映画を観ていた約1時間、無音の世界の中で確かに音楽を感じていたのです。初めて出会った音のない音楽は、儚いようで力強く、カラフルで、どんな音楽よりも音楽らしい音楽でした。

 

もう声なんかいらないと思った

もう声なんかいらないと思った